自由都市「堺」の風土記
- 野村ゼミ
野村ゼミBチーム
井出 和希
安曇 健太
依田 真幸
大平 仁士
松井 伊代子
中務 亜紀
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対象地域
対象地域は、大阪府の南部に位置する府内第二の政令指定都市「堺市」、その中でも濠(ほり)に囲まれていた旧市街地、「環濠エリア」に注目した。環濠エリアの広さは、南北に3km、東西に1km程である(図1)。
旧市街地は、中世には海外交易の拠点として「自由都市」を形成し日本の経済、文化の中心地として繁栄した。その後、2回まちの大部分を焼失し、復興してきた。現在でも育まれた文化の痕跡は残り、近隣を含め有形・無形の歴史資産(寺社、古墳群、千利休をはじめとした文化人や商人、鍛冶やそれを担う職人)が多く存在する。
地域特有の課題
対象地域に関わりのあるひとを対象としたインターネット調査や現地インタビューを踏まえ、「有名で権威ある歴史資産が多く、身近にある文化資産(=生活の近くにある地域を語るもの)に気づきにくい」ことを地域特有の課題と定義した。なお、有名で権威ある歴史資産とは、「数多くある文化財を中心に、行政が前面に推し出している歴史資産」を指す。
風土記の定義と届ける対象
これらを基に、風土記を「都市の成り立ちと人々の営みを行き来しながら歴史的な変遷を辿ることで、 地域の人々がその土地との繋がりに興味を抱くきっかけになり得るもの」と定義した。届ける対象は、対象地域およびその近隣の人々である。
風土記の概要
堺のまちは、上町台地の南端、大阪湾にひろがる砂州上の陸路と海路が交わる場所に職人や商人が集まり形成された(図2)。
ムラの権力構造から切り離された堺の人々は、各地の有力者や武将などとのつながりを強くし、黄金の日々と呼ばれる栄華を極めた。大坂夏の陣でまちを焼失した後は、まちの再建(元和の町割)や大和川付替えで幕府の支配が強まり自由都市の気風はうすれていった。明治時代からは工業化・近代化に注力するが、堺大空襲により市街地の8割を焼失した。市街地開発が行われる一方で元和の町割が踏襲されるなど、気が付きにくいものの、歴史の痕跡は残されている。
このような背景を踏まえて、図3に示した文化資産を個別研究において扱い、グループ研究として統合を図った。
提案
統合の結果として、「さかいの短連歌やさかい」ツアーを提案した(図4)。堺の文化資産「短連歌」(上句と下句を別の人が詠む)を、地元の人が身近な文化資産に興味を持つ仕掛けとして活用する試みである。
試行は2023 年12 月24 日に実施した。参加者は、40ー50 代男性2名およびB チーム6名である。堺市役所展望ロビーに集合の後、各文化資産(図3)を電動自転車で巡った。それぞれの場所で下句を詠み、最後に地域に根差した喫茶店で特に気に入ったものを披露すると共にインタビューを介して提案に対するフィードバックを得た。
今後の展望
参加者からのフィードバックは、1)最初はハードルの高さを感じた反面、少しずつ面白くなってきた;2)「上句」があることで取り組みやすく、「下句」を考えるため対象を観察しようという意識がはたらく、というものであった。
今後、今回の研究成果を基盤に、地元の人を巻き込んだ展開につなげたい。