南魚沼市一村尾地区における太々御神楽の維持継承について

  • 大学院研究員

高塚 苑美

研究概要

本研究は、新潟県南魚沼市一村尾地区における「太々御神楽」の維持・継承の歴史的背景、変遷、そして現在の取り組みについて考察するものである。太々御神楽の起源は定かではないものの、宝暦年間(1751~1764年)にはすでに7座ほどの神楽が行われていたことが確認されている。その後、1865年(慶応元年)に北川岸次が小林宮司宅に寄寓し、2年かけて27の神楽面を彫ったことで、現在の32面・26座の形へと整理された。この神楽は、現在も毎年9月中旬に若宮八幡宮で奉納されており、南魚沼市の無形民俗文化財に指定されている。しかし、時代の変化とともに担い手の減少や継承の困難さといった課題に直面してきた。
本研究では、太々御神楽の維持・継承における重要な転換点を次の4つに整理した。

1. 戦時中の存続危機と青年会による継続(1939~1945年)
第二次世界大戦により神楽の担い手が不足したが、戦地に赴く若者のために地域の青年会が奉納を継続したことで戦後も続けることができた。

2. 担い手不足と保存会の発足(1960~1970年代)
高度経済成長に伴う若者の流出により、担い手が7人まで減少し、神楽存続の危機を迎えた。この状況を受け、1971年(昭和46年)に若宮神楽保存会が発足。担い手を増やす取り組みとして、隣接する市野江甲地区からも舞子が参加することになった。

3. 次世代育成の取り組みと女性参加(1970~1980年代)
若宮神楽保存会によって若宮八幡宮神楽伝承こども教室や雅楽鑑賞会が始まり、次世代の担い手の育成が本格化した。これにより1977年には初めて女性の舞手が誕生し、それまでの「男性のみ」という伝統に変化が生じた。現在では未婚女性が舞に参加できるようになっており、既婚女性の参加も議論されている。

4. コロナ禍とオンライン化(2020年~)
コロナ禍により従来の対面練習が困難になったが、オンラインでの練習指導が導入され、地域外へ進学した学生舞子なども参加しやすくなった。
これらの転換点を通じて、太々御神楽は時代の変化に適応しながら継承されてきた。特に、その継承は単なる伝統の保存にとどまらず、地域社会の一体感を高める重要な役割を果たしている点が明らかとなった。現在では、神楽を通じて世代を超えた信頼関係が築かれ、地域住民の意識にも変化が生じている。特に、子どもたちが神楽に参加することで「ムラを守る」という意識が芽生え、行動変容につながっている。また、大学進学等で一時的に地域を離れた若者にとって、神楽が帰郷の動機となることも確認された。


今後の研究課題として、①思春期以前の関わりの重要性とその具体的手法の検討、②舞手の人数制限に対応した新たな奉納機会の創出、③裸押合大祭など他の地域文化との比較研究が挙げられる。特に、裸押合大祭においても「地域の壁」「性別の壁」などの課題が共通しており、双方の取り組みを比較することで、より持続可能な伝統継承のモデルを導き出すことができると考える。本研究を通じて、伝統文化の維持・継承が地域の活力を生む重要な要素であることを示すとともに、その課題と可能性について引き続き探求していく。

研究活動と成果

①地域活性学会 関係人口部会「地方創生セミナー」にて発表
②野村ゼミ修了生研究報告会にて報告

今後の研究活動

次年度は本研究を新潟県民俗学会にて報告予定。紀要ではこれまでの研究報告を行う予定。